大人になるというのは見方がひねくれること?

最近、ふと浦島太郎って結局なにを教えたかったんだろう?と思ってしまいました。物語である、また現代にまで残っているから、それなりの教訓はあるんだろうなと感じていますが、よくよく考えると苛められていた亀を助けて、その亀からお礼だと竜宮城に連れていかれ、乙姫様からいろんな接待を受けて、最後に玉手箱を渡されて、それを開けないように言われ、最後、陸で開けたらおじいちゃんになったという物語ですが、これって、恩を仇で返す?、それとも言いつけを守ることの大切さ?亀を助けたのに、なぜ玉手箱を渡す?等々色んな疑問が生じます。昔子供の時に聞いた時にはスッと入ったのですが、大人になって改めて考えると納得がいきません。そう考えだすと、お伽話に突っ込みたい事は沢山あります。桃太郎は鬼に困らされていた住民達が描かれています。その鬼退治に桃太郎と、犬と猿と雉をつれていきました。子供の頃は鬼退治に頑張ったと思っていましたが、犬と猿と雉で鬼を退治できるなら、村人が力を合わせて道具をもてば、鬼を退治出来るだろうと考えてしまいました。他にも、鬼達に奪われた金銀財宝を鬼から奪い返した訳ですが、村人達がそんなにも財宝を持っていた事の方がよーく考えたら、不思議な話です。他にも鶴の恩返しもラストに少し突っ込みたくなります。鶴を助けたおじいさんの元に鶴から化けた女性が現れますが、その女性は自身の鶴の羽をちぎって素晴らしい布を作りましたが、それを見られたら、鶴に戻っておじいさんの元から飛び去っていきました。いやいやいや!見られただけで、去らなくてもいいじゃん。恩返しのためにきたのに、何で見られることがタブーなの?と思ってしまいました。さらに羽をちぎって美しい布を作ったのに、最終的には飛んで行けるんだと思って、一部分しか提供していないんだと思ってしまいました。昔のお伽話を読んで、いい物語を読んでもスッと教訓を受け入れないと思うと大人になるって、こういうひねくれた思いを持ってしまうのか?と思いましたが、もっと純粋な心を持ちたいと思いました